子供時代をゲームに捧げて失ったものは○○○する△△?

こんにちは、木こりです。

この記事にたどり着いた方は、恐らくゲームによるデメリットが何なのかが気になってインターネットで調べてこのタイトルが目に付いたのだと思います。

私自身、物心ついた頃からゲームをざんまいでして、何につけてもゲームで遊ぶことに一番に考えてきました。

で私も今までの人生を振り返って考えてみたんですね。
「子供時代のほとんどをゲームを遊ぶのに時間を費やして失ったものはないか?」

今まで特に不便に思ったことはなかったのですが、ネット上での悩みをいろいろと見ているとゲームを続けることに不安を抱えている人が結構いたので、
「自分が気付いていないだけで、ゲームのせいで何か犠牲になったものがあるんじゃないのか?」
っといった感じで記憶を遡ってみました。

今回はそんな記事になります。

結局のところ他の趣味と同じ

でいろいろと考えたのですが、私が子供時代にゲームを遊んでいて失ったものは、それにかけたお金と時間くらいでした。

でもこれはゲームに限らず、何をするにも時間と多少のお金は消費するため、結局は他の趣味と変わりないんじゃないかなぁと思います。

「ゲームをし過ぎたら頭が悪くなる
と言うのは単純に趣味と勉強時間のバランスが崩壊しちゃっていることが原因であって、趣味の内容がゲームだからだという話ではありませんもんね。

個人的には子供なりにゲームから学べることは沢山あると思っています。

子供の教育にテレビゲームは悪くない?

2019年8月7日

でも本当にゲームを遊んだことによって失ったものって無かったのか、その後もさらに考えました。

休日はテレビゲームで遊ぶことが多かった私は、家族で遊園地に行くとかはあまり好きな方じゃなかったですね。
だって今やってるゲームの先の展開の方が気になるじゃないですか?

どこかに出掛けてもすぐに帰りたがっていたような気がします。

余談ですが、ゲームが好き過ぎてソフトを親に買ってもらった帰りは嬉し過ぎて「帰り道に事故に遭って死んでしまうかも知れない」という反動の恐怖心が生まれくらいでした(笑)

それを考えてた時にふと思ったのが
「アレ?もしかして親の方が出掛けたかったのかな?」
「ゲームじゃなくて、親と子供との思い出を作りたかったのかな?」

という仮説が出てきました。

生意気なことを言うと、親孝行をする機会をゲームに奪われたんじゃないか?
ということです。

元ファミ通編集長の浜村弘一さんの著書「ゲームばっかりしてなさい。」において、下記のような表現があります。

「自分の目の前で、楽しそうにゲームを遊ぶ子供たち。
でも自分にはそのゲームがいまひとつ理解できない。
自分に理解できないものが、自分の子供たちの心と時間を奪い去っていく。
それが不安を呼び、寂しい気分を生み出してしまう。」

子供にゲームは悪影響?浜村弘一さんとその息子さんが教えてくれたこと

2019年10月5日

私の親は浜村さんとことは違い、一緒にゲームを遊ぶといった感じではなく、与えられたゲームをひたすら1人で遊びまくるタイプの家庭でしたので、もしかしたらそう思っていたかも知れません。

でも当の本人はとてもゲームを楽しめて幸せでした。
それを親が感じ取ってくれているのであれば、親としても満足してくれていたことでしょう。たぶん。知らんけど。

部活動はした方が良いと思う

とある悩み相談で、学生時代に部活動をせずにゲームばかりに取り組んでいたが、社会人になってそれを後悔したという話を目にしました。

確かに、ゲームは大人になってからでも出来るけども、部活動は学生の頃しか打ち込めない貴重な経験です。

高校時代に私がある友人にFF11を一緒に遊ぼうと誘ったら、
「遊びは大学へ入ってもできるけど勉強は今しか出来ない」
と有言実行で良い大学へ進学した優秀な奴もいました。

ゲームとは基本的に「娯楽」的なものなので、面白い部分のみを抽出して楽しんでいるような行為ですから、部活動の苦しみに比べれば辛いことはほとんどありません。(レベル上げのような単純作業は辛いというかつまらないだけですね)

なぜ辛いことを進んで行う部活動が大切なのかと言うと、そういった辛いことを乗り越えた時に得られる達成感というものが、娯楽では得ることが出来ないものすごい経験だからでしょう。

私はラグビー部でしたが、痛いし怖いししんどいし、骨折もしたし、膝の傷口からバイ菌が入って脚の付け根が腫れて膿を出すために手術もしたし、唇を縫う怪我なら何回もありました。
でもそういった苦労を乗り越えて試合に勝てた時は、それはめちゃくちゃ嬉しかったものです。怪我の話は後で笑い話にもできますし。

特にチームでプレイするスポーツは、1人で黙々とゲームをやっているゲームでは得られない感動があるんですよね。

でもそれはもう十数年前の話で、今はゲームでも同じ経験ができると私は思っています。
それがeスポーツです。

試合に勝って喜ぶ姿や、負けて泣き崩れる選手を見るとそれはもう他のスポーツと変わらないくらいの感動がそこにありました。

ですので、身体を動かすのが苦手という理由でスポーツを敬遠してきた子供たちにとっても、貴重な経験と活躍できる場がeスポーツにはあるんですね。

これ、自分が学生の時にあったらどれだけ興奮しただろうか…。
今の子供たちを羨ましく感じます。

あとは考え方次第

ここからは精神論的な話になってしまうのですが、結局はゲームに時間を捧げてきた本人がそれを良かったと思うか、そうじゃなかったと思うか、というだけの話ですね。

自分がゲームをプレイしてきた時間が全くの無駄であったと思うのなら、それは無駄だったんでしょうし、そこから何か得られたものがあるんだったらそれは貴重な経験になります。

でももしかしたらゲームをプレイしてきたことによって、本当に何かを失ってしまった人もいるかも知れません。

これはそんな人の気休めになるか分かりませんが、ユダヤ人のこんなジョークがあります。

「ユダヤ人は足を折っても、片足で良かったと思い、両足を折っても、首でなくて良かったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない」

要するに、今回の記事タイトルのような失ったものではなくて、残っているものに注目せよ。そして残っているものがあることに感謝し、それを最大限に活かそう。というメッセージを含んでいるんですね。

「首を折れば、もう何も心配することはない」
なんてクールな言葉だれが考えたんだろう、と感心しました。

ゲームで遊んできたことによって、私の視力はだいぶ悪くなってしまいましたが、社会人になってもラグビーを続けていたらそれどころじゃない大怪我をしていたかも知れません。

ゲームをするばかりで子供の頃は親孝行する機会を失ってしまったかも知れませんが、まだ親孝行をするチャンスがあるだけ私は幸せです。

まとめ

  • ゲームをすることで失ったものは思いつかない
  • 強いて言えば親と遊ぶ時間と目が悪くなったくらい
  • 学生時代はスポーツには打ち込んだ方が良いと思う
  • それが別にeスポーツでも構わない
  • 失ったものではなくて、残っているものに注目する

ゲームが好きでラグビー経験者でもある私は、2bro.さんがラグビーW杯の実況をしている配信を視聴できればもう最高です。

それじゃあ、またなっ!

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